なりたい自分〜理想の母親像〜

私の理想の母親像=自分の母親

では無く

むしろ、その正反対

つまりは自分の母親のようになりたくない

とゆうのが正直なところ。

なので

私の理想の母親像を描くには

私の母親がどのような人物であるか

(私が母親に抱いている感情がどのような感情か)

を自分の中で整理することが必須であり

それを整理しない限りは

具体的な理想の母親像を

明確に思い描くことが出来ないと思う。

こんな風に書くと

私がまるで母親を恨んでいるとか

嫌いなんじゃないか?とか

とにかく私が母親に対して

ネガティブな感情を持っているとしか

他人の目には映らないかもしれない

が、私が母親に対して抱いている感情は

ネガティブとかポジティブとか

そうゆう次元の話ではなくて

一言で表現できることでも無ければ

雄弁に語るほどのことでもない

とても複雑で

それこそ自分の

心からの感情とゆうものが

分からないという

理想の母親像を語る上での

最大にして最難関な話なので

実のところ、このタイトルで書き出したことを

今さらながら後悔している。

なので、このタイトルでの記事は

日の目を見ることなく

御蔵入り、もしくは中途半端で

打ち切りになるか

長いこと下書きのまま

放置する可能性が高いかもしれない。

でも、そんなことを言ったところで

最終的に公開するかしないかを決定するのは

他の誰でもなく自分自身でしかないのだから

益々たちが悪い。

無事に出産!

f:id:rearise70:20170524110111j:plain

 先日の続き、、、、、

 

5月23日

 

朝までお腹の張り具合と胎児の心拍数を計測するモニターを

付けつつ出産に繋がる兆候が見られないか様子を見てみたものの、

 

張り止めの点滴を抜いて

張り止め成分が少ない飲み薬に変更した為

 

それまで薬で強制的に抑えられていた

お腹の張りが一気に戻る

張り返しの影響で

 

出産に繋がる兆候では無いと思われ

一旦、LDR室から自分の個室に戻ることに。

 

 

昼食を済ませ再びベッドに横になって安静にしていると

朝には一旦落ち着いていたお腹の張りと痛みがぶり返し

 

そのうちに時間と痛みの強さが一定の間隔になったので

 

とりあえず、部屋の時計とにらめっこしながら

それが、何分間隔で何秒ほど続くかを観察。

 

分娩入院する目安になるのが陣痛が

10分間隔になった時とゆう知識くらいは

 

さすがに3人目の出産を控える身として

持ち合わせていたので

 

時計とにらめっこの結果、10分間隔が数回続き

本格的な陣痛かも?と思えるようになってから

ナースコールをして

 

再び病室にて朝と同じモニターで計測すると

分娩に繋がる兆候に近い状態とのことで

再びLDR室に舞い戻り

 

 

延々と痛みに耐えること10時間ほどで

 

なんと、予定日より4週間ほど早く

正期産には1週間足りない

36週での早産となってしまいました。

 

音楽を聴きながら呼吸法と合わせて

リラックスした精神状態をつくることで

出産に伴う苦痛を和らげ

 

陣痛の痛みを出産へのエネルギーとして

前向きに捉える「ソフロロジー式分娩」を

取り入れている産院なので

 

3人目で人生最後になるであろう分娩を

後悔なきようソフロロジー式分娩で臨みたいと

希望して

 

定期的に産院で開催されている

「ソフロロジー教室」たるものに参加してはいたのですが

 

リラックスした精神状態に到達するには

専用の音楽CDを毎日聴きながらの

イメージトレーニングが必要。

 

なのに、実際に教室に行ったのは2回

イメージトレーニングに至っては

切迫早産で入院中に慌てて病室で行なった

数回のみ(苦笑)

 

 

上手にリラックスした精神状態に入れれば

麻酔や切開などの医療行為を必要とせず

いきんで出産せずとも自然な子宮の収縮活動により

痛みや不安を軽減された母体にも負担が少ない

理想的な分娩に繋がるとゆう

ソフロロジー式分娩の利点を活かしきることが

出来るハズもなく、、、

 

 

ヨガを多少かじっていたので呼吸法については

浅い予備知識と少ない練習だけでも

なんとなく体得でき、

陣痛の痛みに耐える時間帯は

呼吸法のおかげか上の子2人の時より苦痛が少ない気がしたものの、

 

肝心な子宮口全開から分娩までの

大事な場面での

いきみ逃しが上手くできず

 

 

最後には会陰切開&全力でいきみ

赤ちゃんの頭を鬱血させてしまうとゆう

お粗末な結果となってしまいました。

 

それでも

出産後すぐ赤ちゃんと直接肌を合わせる

カンガルーケアを受けることができ

 

何よりも無事に元気な男の子を出産することが

出来たので本当に良かったです。

 

 

まもなく出産⁈

f:id:rearise70:20170523113248j:plain

先週から切迫早産で入院していて

常時、お腹の張りを抑える点滴投与を受け

安静に過ごすこと4日。

入院2日目には妊娠10カ月に入り

あと1週間経過すれば

切迫早産では無くなる期間にも入った。

最初に見られた出血も無くなり

お腹の張りや痛みが落ち着き

点滴も外れて

炎症反応が見られた血液検査の結果が

良ければ明朝には退院できるかも?

とゆう状況の中

夜、突然の腹痛と腰痛

今までにないだけキツイお腹の張り

が見られたので

急遽、陣痛から分娩そして回復までを過ごすLDR

にて一夜を過ごすことに。

だんだん増していく痛み

このまま出産になるかもしれない

とゆう不安と

もうすぐ会える

とゆう期待と

様々な感情と共に

眠れない夜を過ごしました。

朝方になり、痛みが落ち着き

少し眠ることが出来

目がさめると

定期的になりつつあった

お腹の張りや痛みがほぼ収まっていて

今は、LDR室にて様子見状態です。

なりたい自分像その1

まずは第一に自分の意思や気持ちを素直に表現する人であり、自分自身の絶対的理解者であること。

 

よく、自分の本当の気持ちがどこにあるのか、何が本当の自分の意思なのか分からなくなることがある。

 

表面的な自分の気持ちだったり、自分の意思で決めたと思っている諸々のことは、実際には他人の価値観だったり、期待値だったりを反映して選ばされているとゆう感覚を覚えることがある。

 

と言った方がしっくりくるかな?

 

自分自身の本質とゆうか核の部分で、誰に影響されることもなく選択した感情や意思にもっともっと近づきたいとゆうか、、、

 

簡単に言ってしまえば、たいていの人は親からの刷り込みだったり、学校や社会で求められる「こうあるべき」とゆう枠にハマった人間であろうと

いわゆるマジョリティであろうとしている

 

その逆を生きたい。

 

うちの娘が大好きな欅坂46

サイレントマジョリティ

とゆう曲に込められたメッセージに

なんとなく近い感覚だと思う。

 

今の世の中、自分の意思を持たず大勢に流されている思考停止状態で生きているのに

 

そのことにすら気づかないまま

忙しい毎日をルーティーンのように

何の変わり映えも成長もせず

過ごしてしまっている人が多すぎると思う。

 

今、現時点での私自身もそうだ。

 

だけど、少しずつだけど

気づき始めているんた

 

「このままじゃいけない」ってことに。

 

だからこそ

 

マイノリティで在ることに恐れないで

本質の自身の姿で生きていたい。

 

ともすれば、それはとてもワガママで

時には反社会的に他人の目には写るのかも

しれないけど。

 

自分を殺して他に合わせて我慢して生きることより

自分の心が本質が喜ぶ生き方を選択して生きたい。

 

そして、それが自分だけじゃなく

自分の大切に思う周囲の人をも幸せにできる

生き方なら最高だ。

 

そんな風に思うのです。

 

ワガママでもいい

時には道を踏み外し

失敗を繰り返してもいい

 

最後には自分自身が心から喜び

幸せを感じながら

周囲の人をも幸せにできる

 

そんな自分になりたいのです。

なりたい自分になる方法(序章)

なりたい自分ってどんな自分なんだろう?

 

お金持ち?

 

絶世の美女?

 

人から尊敬される人?

 

誰もが羨む生活をして

誰もが憧れる美しい女性で

誰もが目標にする人?

 

何一つ不足しているものが無く

人生を楽しみ謳歌している人?

 

 

この世の中には沢山の情報が溢れていて

いわゆる成功法則とか

自己啓発だとか

人生訓だとか

そんなものは

ゴロゴロしてる。

 

なりたい自分になる方法も

見つけようと思えば

いくらでも情報が見つかると思う。

 

だけど、

本当に見つけることが難しいのは

なりたい自分になる方法を見つけることよりも

 

【なりたい自分】ってなんぞや?ってことを

見つけること。

 

なりたい自分なんて

自分以外は他に誰にも見つけらない。

 

それも、世間体とか人の意見とか

社会のルールや常識だとか

そんな諸々の自分以外の何モノかの影響を

全く受けず

純粋に心から

【なりたい自分】の姿を

本当にそうなったごとく

ハッキリと、その時の感情だとか

持っているものだとか

居る場所や付き合う人、

その場の匂いや

持っているモノの質感や

手触り、品質だとか

そんな具体的な部分まで

明確にすること。

 

大げさに言えば自分の人生のゴールを

細部まで明確に具体的にすること。

 

ゴールや目的地も分からずに

ただ闇雲に進んだって

どこにも辿り着くことなく

疲弊して

進むことを

やめたくなる時が

いつかきっと

来るだろうに。

 

もう何もかもが嫌だって

全てを投げ出したくなる時もあるだろうに。

 

【なりたい自分】

とゆう

 

自分の人生のゴール

 

自分の進むべき目的地

 

まずは、それをハッキリさせるところから

 

この壮大な旅は始まるんだ。

 

だけど、そのことを

本当の意味で

君はまだ知らないんだ。

 

 

【なりたい自分になる方法、、その1】

 

まずは、なりたい自分ってどんな自分?

ってこと

 

自分の人生の目的地

(ゴール)を細部まで明確にすること。 

 

そして、それは他人のモノサシじゃなく

自分自身のモノサシで測った

心から求めるもの であること。

なりたい自分になる方法

【なりたい自分になる方法】

 

とゆうものが、もしあるのなら

その方法とやらを知りたい!と思う人は

この広い世の中に一体どれくらい居るのでしょう?

 

そんな方法が本当にあるなら、世の中の人みんながハッピーで犯罪やら自殺やら大きく言えば紛争や戦争すら無くなって平和な世界になるんじゃないか?

とゆうことを考える人は私以外にどれくらい居るでしょうか?

 

なぜ、唐突にこんな事をブログに書き出したかとゆうと、

 

端的に言うならば暇を持て余しているから。

 

とゆうのも、先週の金曜日に妊娠中の私は妊婦検診を受けた結果、切迫早産とのことで入院生活に入りまして

 

早産にならない為の治療(主に安静とお腹の張りを止める点滴)を受ける羽目になったのですが

 

診断当日の金曜日時点で

妊娠35週と6日目。

 

胎児の成長も順調

このまま出産になったところで

生死に関わるような状況には無い

とゆうくらいまでには育っている

 

が、検診日の数日前に(おしるし)とも言われる

少量の出血があり

 

定期的なお腹の張りと痛みが出始めてきて

そのまま陣痛になって出産となると

 

いわゆる早産になってしまうので

 

正期産という妊娠37週以降までなるべくなら

お腹の中でお母さんからの抗体等を受けながら

過ごさせてあげた方がいいとゆう

 

念のための処置としての入院なので

 

安静にして点滴を受ける以外に特にやることもなく

どこか調子が悪くて動けないとゆう状況でもなく

 

ほんと単純に暇なのです(笑)

 

入院してから今日までの数日は

 

ヒマだなーって思いながらも

 

上の子2人を出産した時と、腎盂腎炎にかかって

一週間くらい緊急入院になった時以外に

入院したことがないが故

 

入院中の有り余る暇な時間

なにをして時間を過ごしたらいいか

模索しつつ

 

結果、効果的な暇つぶしを

見つけられないまま特に何もせず

暇を持て余したまま

1日を終えるとゆうルーティーンに

陥っていたのです。

 

が、今日トイレに入りながら突然閃いたのです。

 

この暇な時間を有効に活用できる方法。

 

すなわち、思考する時間を持とうと。

 

で、まずは売店に行きメモ帳を購入。

 

前々から、やろうやろうと思いながら

後回しにしていた

ブレインダンプをすることに。

 

ブレインダンプってなんぞや?まで書き出すと

長くなるし脱線しまくるので、いつかの機会に

書こうと(今の時点では)思いますが、

 

今日のところはやめておきます。

 

で、ひととおり書いてみたところで

急に思い出したのが

 

一時期、自己啓発にハマっていた頃に

色々な自己啓発やらスピリチュアル系やらの

本を読み漁っていて

 

その頃に抱いた野望の一つに

小説を出版してそれが映画化され

ハリウッドで実写化されるくらい大ヒットさせる

 

とゆう、身の程知らずな⁈

壮大な夢があったこと。

 

で、そんな壮大な夢の小説のタイトルが

【なりたい自分になる方法】

だったのです。

 

構想としては、人生に失望し自殺すら考え

人生になんの意味も楽しみも見出せず

それどころか、自分が一体なにを求めているのか

すらも分からず

それなのに死ぬ勇気すら持てず

悩み苦しんでいた主人公(私)が、

 

ある日、突然もう一人の自分(潜在意識)の声が聞こえるようになり

 

その声に導かれるままに、

 

最初は半信半疑(とゆうより、な訳無いだろ!

信じないし、そんな方法は嘘だと証明してやる的なニュアンスと立場)だったにもかかわらず

 

どんどん自分が何を求めているかを知り

求めている自分の姿を鮮明に描けるようになり

そして、人生に夢や希望を見いだして

結果的には思い描いていたこと全てを叶え

なりたい自分になっていく

 

とゆう、お伽話チックながらも

人生訓やら成功法則やらが

随所に散りばめられた

 

いわば成功する人生への羅針盤的な

 

フランクリン・コヴィー博士の7つの習慣にも

ナポレオン・ヒルの思考は現実化するにも

匹敵するような

 

すんばらしい小説なのです。

 

その中でも特にどこが

【すんばらしい】

のかとゆうと

 

小説の主人公である私=

著者である私であり

 

その内容は全て

自分自身の実体験で(一部、疑似体験も含むが)

 

その実体験を読者が本を読みながら

追体験することによって

 

読んだ誰もが

【なりたい自分になれる】

から。

 

なのです

 

 

はい。

 

ここまで読んだ人の中には

 

あー40才にもなって

こんな誇大妄想を抱く

 

痛い人もいるんだ

可哀想に

 

くらい思う人も多いでしょうね、、、

 

これまた妄想でしかないのですが、

 

はい。

 

私、実は妄想大好き❤

 

だって、頭の中で考えることは何だろうが自由じゃん♬

 

てゆう夢見る夢子ちゃん症候群なんです(笑)

 

 

で、今日から、

この壮大な妄想を

妄想では無く

 

現実にするべく

 

このブログを実験台にして

 

小説のネタというか?

 

思い描いた

 

なりたい自分になる方法

 

を模索しながら

 

ブログ更新していきたいと思います‼︎

 

3日坊主にしないよーに

 

ほんとに現実化するよーに

 

がんばれ私(笑)

 

乞うご期待を。

 

母の日

母の日だった14日

 

娘から手紙をもらって

その内容に、とても心を打たれ

 

久しぶりに手紙を読んで泣いた。

 

自分の素直な気持ちを表現することが

出来ずに、対人面での衝突に悩んだり

泣いたりしていた彼女が

 

心の奥底に本当の自分の感情が

あるのに、それを表に出せなくて

 

本当は、そんな風に思ってもいない言葉が

口をついて出てしまい

 

そんなことを言いたい訳じゃないのに

 

本当の自分の気持ちをどうしたら出せるかが分からなくなって

 

そのことをずっと悩んでいた。

 

そうなってしまったキッカケを

 

母である私自身の軽率な一言で与えてしまったということを告白してくれた。

 

それは、娘が小学生の頃

発達障害を疑って

インターネットで

色々と調べたことがあり

 

その症状と娘の行動などが

 

かなりの頻度で

一致することが

わかり

 

もしかしたら

こうゆう病気かもしれない

から専門的なところでちゃんと

調べた方がいいかもしれない

と夫と話していて

それが娘の耳にも入ってしまい

 

そうゆう傾向はあるけど

病気では無いんだよ

 

ただ、こうゆう時にはこうした方がいいと思うよ

と小学生の娘に伝えてしまったことがあって

 

結局、どこか専門的なところでちゃんと診断を受けることはせず

 

彼女の個性として受け止めることにして

 

発達障害を疑ったことすら

なかったことにしようとゆう

結論に至って

 

まだ小学生だった娘も

ハッキリと理解していないだろうし

覚えていないだろうと

タカをくくって

そんな疑いを持ったことすら忘れてしまっていた。

 

 

それを娘は忘れていた訳じゃなく

自分は病気なんかじゃない

 

なのに何で分かってくれないんだろう?

 

そんな風に言われて
ショックだったし


パパとママのことを
信頼できなくなって

 

パパとママにさえ
本当の自分の気持ちを
言えなくなった

 

ってずっと悩んでいたってことを告白され

 

そんな風に思わせてしまっていたなんて

 

彼女の心に消えない傷を残してしまっていたんだってことを知って

 

本当に申し訳なくって

 

後悔や懺悔の気持ちが

 

いっぺんに押し寄せて

 

それだけで泣いてしまって

 

でも、そんな不甲斐ない母であるはずの私に対して

 

その時はショックだったけど

自分のことを本当に心配してくれたから

ってことは分かってるし

 

パパとママのこと大好きだよって

 

ママ産んでくれてありがとうって

 

ほんとに純粋に彼女は

愛情を持って接してくれていて、

 

ママは一人で何でも抱えてしまうところが

あるから自分に頼って欲しいとさえ

書いてあって

 

彼女の素直さ、優しさ、そして観察力、

思いやり、そこまでしっかりとした

感じ方、考え方ができるように成長してくれたこと

 

そして何より悩んでいた

自分の素直な気持ちを表現することを

手紙を通してしてくれたこと。

 

それが

ほんとに嬉しくて

 

娘からの手紙が

最高のプレゼントになりました。