久しぶりの更新

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我が家の天使くん23日で生後一か月になりました。

 

ほんと、あっとゆう間の一か月で

毎日飛ぶように過ぎていき、、、

 

入院中とは打って変わって

ゆっくりblog更新する余裕もなく

 

久しぶりの更新となりました。

 

なりたい自分だとか

理想の母親像だとか

 

将来のことを考える余裕もなく

 

ひたすら天使くんのお世話の日々でした。

 

でも、それがとっても幸せで

嬉しい時間だったから

今しかない子育ての時間を

存分に楽しんでもいました。

 

ただ、綺麗事だけじゃなく

寝不足だったり

思うように外出ができず

ほぼ自宅に引きこもり状態で

ストレスを感じることも多かったです。

 

でも、それを相殺して

有り余るくらいに

幸せだなぁ

 

可愛いなぁ

 

ってほんと親バカ丸出しですが

 

愛おしいって

こうゆうことなんだなぁって

 

授乳のときも

沐浴のときも

寝ているときも

おむつ交換で

手が汚れたときでさえも

 

毎日、毎回

思ってました。

 

母親になって18年。

 

長男の時は

初めてのことばかりで

戸惑いや不安だらけで

育児を楽しいとか

幸せって思う余裕もなく

 

逆に早くこの辛い育児から解放されたい

とまで思ってた。

 

自分でも、その違いに驚くほど

今回は辛いとか苦しいとか思わないし

逆に楽しくて幸せで愛おしく感じられる。

 

年齢と経験値を重ねてきたからなんだろうな。

 

なんてことを感じてます。

 

 

そうゆう想いを

記録として

残していきたいです。

 

 

 

 

理想の母親像シリーズvol.2

日々、牛になった気分で3時間おきに乳搾りをして

母乳を冷凍保存できるスグレモノ(母乳パック)に

ストックしては病院に運ぶとゆう生活を送っていましたが、

 

そんな日々にも、ようやくピリオドが、、、

 

NICUで24時間体制で管理下に置かれていた

我が息子くん、無呼吸発作が無くなってから

一週間経過することが退院の目処でした。

 

退院前に24時間体制で家庭での育児にスムーズに移行できるよう1日母子同室で過ごしてから退院しましょうっていう病院からの方針が示されていたので

 

母乳を届けて1日1回だけでも直接授乳しつつ

その日が来るのを今か今かと待ちわびてきました。

 

そして、明日いよいよ母子同室の日を迎えることに。

 

 

もう今から楽しみで仕方がない♬

 

母として、自分にできることは何だって厭わないと

思える。

 

理想の母親像を思い描くことも大切かもしれないけど、今、その時、この瞬間に感じる気持ちを大切にしたいと改めて感じています。

 

 

〜〜〜〜〜〜理想の母親像〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

今この瞬間に感じている気持ちを大切にしていきたい。

 

理想の母親像シリーズ

もうこうなったら

いっそのこと

理想の母親像を書くことを

シリーズ化してしまい

 

 

その場で思ったことを

そのまま書き殴ってしまえ‼︎

 

 

とゆう半ばヤケクソなアイデアが浮かんだので

 

 

なりたい自分〜理想の母親像〜

はシリーズ化すること決定。

 

↑↑↑ここまでは、前に書いたけど

下書きだったところ

 

 

↓↓↓ここからは、後日

心身共に落ち着いてから書いた

 

理想の母親像の自分軸の核を見つけることができた

出来事が5月25日〜26日の間に起こりました。

 

先日、あと何日か待てば早産じゃなかったのにとゆう微妙な時期でフライングぎみに

産まれてきた慌てん坊の次男くん。

 

驚くような低体重な未熟児だった訳じゃなく

3日後に産まれてきたら「早産」じゃなく

「普通分娩」に入ってるので

特に問題視されることがなかったのかも

しれないけど

 

お腹に居る間には、寝てても起きてても関係なく

へその緒から栄養や酸素を供給され

自発的に肺で息をすることを必要とせず、

そこに居るだけで成長に必要なエネルギーが

勝手にやってくる

 

いわば居るだけで何にもしなくとも生きれる環境だったのに

 

突然、ぬくぬくとしたぬるま湯みたいな環境

(羊水って人生初のぬるま湯なんだなぁ

なんてことを書きながら思った)から

放り出され

 

生命維持に絶対的に必要な

頼みの綱(へその緒)を切られ

この世はサバイバルとばかりに

 

やれ、肺で自発的に呼吸しろ

 

やれ、泣いて空腹や不快を知らせろ

 

やれ、自分から探してオッパイに吸い付き

栄養を吸収しろ

 

なーんてことを

いきなり求められる訳で。

 

慌てて出てきたはいいけど、

実はまだ、お腹にいる気分で

そんなに急にいろんなことを求められても

困ってしまったみたいなんです。

 

早産で産まれてきた次男くん

羊水で満たされていた肺が乾くまでは

呼吸が安定しないとか何とかで

 

呼吸が安定するまで

酸素濃度や心拍数をモニターをつけて常時監視下に置かれていたんだけど

 

寝て居る間に突然なんの兆候もなく

呼吸を止めてしまって

酸素濃度が一気に低下して

チアノーゼをおこしたってことで

呼吸器が完成してるのか?とか

脳からの指令が正常に機能して初めて人は意識しなくとも自発呼吸が出来るようになるので

脳からの指令がちゃんと働いてるか?とか

 

念のため詳しく検査を受けることができる病院に

転院することになってしまいました。

 

見た感じ特に異常も無く

元気に産まれてきてくれて

ホッとしていて

これから始まる我が子との日々に

期待や楽しみを感じている

まさに幸せの絶好調‼︎

 

から一気に不安と心配の渦に飲み込まれ

不幸のどん底とばかりに

泣いて嘆いて

まるで悲劇のヒロイン

 

なーんて感じになった。

 

だけど、毎回の授乳で我が子に会いに行く時には

泣き顔じゃなく笑顔で会いに行ってあげたい。

 

どんな辛い悲しい時にも

我が子の前では笑顔で居たい。

 

ってことを心底思った。

 

 

〜〜〜〜私の理想の母親像〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

子供の前では、どんな時でも笑顔を見せられる母親

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なりたい自分〜理想の母親像〜

私の理想の母親像=自分の母親

では無く

むしろ、その正反対

つまりは自分の母親のようになりたくない

とゆうのが正直なところ。

なので

私の理想の母親像を描くには

私の母親がどのような人物であるか

(私が母親に抱いている感情がどのような感情か)

を自分の中で整理することが必須であり

それを整理しない限りは

具体的な理想の母親像を

明確に思い描くことが出来ないと思う。

こんな風に書くと

私がまるで母親を恨んでいるとか

嫌いなんじゃないか?とか

とにかく私が母親に対して

ネガティブな感情を持っているとしか

他人の目には映らないかもしれない

が、私が母親に対して抱いている感情は

ネガティブとかポジティブとか

そうゆう次元の話ではなくて

一言で表現できることでも無ければ

雄弁に語るほどのことでもない

とても複雑で

それこそ自分の

心からの感情とゆうものが

分からないという

理想の母親像を語る上での

最大にして最難関な話なので

実のところ、このタイトルで書き出したことを

今さらながら後悔している。

なので、このタイトルでの記事は

日の目を見ることなく

御蔵入り、もしくは中途半端で

打ち切りになるか

長いこと下書きのまま

放置する可能性が高いかもしれない。

でも、そんなことを言ったところで

最終的に公開するかしないかを決定するのは

他の誰でもなく自分自身でしかないのだから

益々たちが悪い。

無事に出産!

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 先日の続き、、、、、

 

5月23日

 

朝までお腹の張り具合と胎児の心拍数を計測するモニターを

付けつつ出産に繋がる兆候が見られないか様子を見てみたものの、

 

張り止めの点滴を抜いて

張り止め成分が少ない飲み薬に変更した為

 

それまで薬で強制的に抑えられていた

お腹の張りが一気に戻る

張り返しの影響で

 

出産に繋がる兆候では無いと思われ

一旦、LDR室から自分の個室に戻ることに。

 

 

昼食を済ませ再びベッドに横になって安静にしていると

朝には一旦落ち着いていたお腹の張りと痛みがぶり返し

 

そのうちに時間と痛みの強さが一定の間隔になったので

 

とりあえず、部屋の時計とにらめっこしながら

それが、何分間隔で何秒ほど続くかを観察。

 

分娩入院する目安になるのが陣痛が

10分間隔になった時とゆう知識くらいは

 

さすがに3人目の出産を控える身として

持ち合わせていたので

 

時計とにらめっこの結果、10分間隔が数回続き

本格的な陣痛かも?と思えるようになってから

ナースコールをして

 

再び病室にて朝と同じモニターで計測すると

分娩に繋がる兆候に近い状態とのことで

再びLDR室に舞い戻り

 

 

延々と痛みに耐えること10時間ほどで

 

なんと、予定日より4週間ほど早く

正期産には1週間足りない

36週での早産となってしまいました。

 

音楽を聴きながら呼吸法と合わせて

リラックスした精神状態をつくることで

出産に伴う苦痛を和らげ

 

陣痛の痛みを出産へのエネルギーとして

前向きに捉える「ソフロロジー式分娩」を

取り入れている産院なので

 

3人目で人生最後になるであろう分娩を

後悔なきようソフロロジー式分娩で臨みたいと

希望して

 

定期的に産院で開催されている

「ソフロロジー教室」たるものに参加してはいたのですが

 

リラックスした精神状態に到達するには

専用の音楽CDを毎日聴きながらの

イメージトレーニングが必要。

 

なのに、実際に教室に行ったのは2回

イメージトレーニングに至っては

切迫早産で入院中に慌てて病室で行なった

数回のみ(苦笑)

 

 

上手にリラックスした精神状態に入れれば

麻酔や切開などの医療行為を必要とせず

いきんで出産せずとも自然な子宮の収縮活動により

痛みや不安を軽減された母体にも負担が少ない

理想的な分娩に繋がるとゆう

ソフロロジー式分娩の利点を活かしきることが

出来るハズもなく、、、

 

 

ヨガを多少かじっていたので呼吸法については

浅い予備知識と少ない練習だけでも

なんとなく体得でき、

陣痛の痛みに耐える時間帯は

呼吸法のおかげか上の子2人の時より苦痛が少ない気がしたものの、

 

肝心な子宮口全開から分娩までの

大事な場面での

いきみ逃しが上手くできず

 

 

最後には会陰切開&全力でいきみ

赤ちゃんの頭を鬱血させてしまうとゆう

お粗末な結果となってしまいました。

 

それでも

出産後すぐ赤ちゃんと直接肌を合わせる

カンガルーケアを受けることができ

 

何よりも無事に元気な男の子を出産することが

出来たので本当に良かったです。

 

 

まもなく出産⁈

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先週から切迫早産で入院していて

常時、お腹の張りを抑える点滴投与を受け

安静に過ごすこと4日。

入院2日目には妊娠10カ月に入り

あと1週間経過すれば

切迫早産では無くなる期間にも入った。

最初に見られた出血も無くなり

お腹の張りや痛みが落ち着き

点滴も外れて

炎症反応が見られた血液検査の結果が

良ければ明朝には退院できるかも?

とゆう状況の中

夜、突然の腹痛と腰痛

今までにないだけキツイお腹の張り

が見られたので

急遽、陣痛から分娩そして回復までを過ごすLDR

にて一夜を過ごすことに。

だんだん増していく痛み

このまま出産になるかもしれない

とゆう不安と

もうすぐ会える

とゆう期待と

様々な感情と共に

眠れない夜を過ごしました。

朝方になり、痛みが落ち着き

少し眠ることが出来

目がさめると

定期的になりつつあった

お腹の張りや痛みがほぼ収まっていて

今は、LDR室にて様子見状態です。

なりたい自分像その1

まずは第一に自分の意思や気持ちを素直に表現する人であり、自分自身の絶対的理解者であること。

 

よく、自分の本当の気持ちがどこにあるのか、何が本当の自分の意思なのか分からなくなることがある。

 

表面的な自分の気持ちだったり、自分の意思で決めたと思っている諸々のことは、実際には他人の価値観だったり、期待値だったりを反映して選ばされているとゆう感覚を覚えることがある。

 

と言った方がしっくりくるかな?

 

自分自身の本質とゆうか核の部分で、誰に影響されることもなく選択した感情や意思にもっともっと近づきたいとゆうか、、、

 

簡単に言ってしまえば、たいていの人は親からの刷り込みだったり、学校や社会で求められる「こうあるべき」とゆう枠にハマった人間であろうと

いわゆるマジョリティであろうとしている

 

その逆を生きたい。

 

うちの娘が大好きな欅坂46

サイレントマジョリティ

とゆう曲に込められたメッセージに

なんとなく近い感覚だと思う。

 

今の世の中、自分の意思を持たず大勢に流されている思考停止状態で生きているのに

 

そのことにすら気づかないまま

忙しい毎日をルーティーンのように

何の変わり映えも成長もせず

過ごしてしまっている人が多すぎると思う。

 

今、現時点での私自身もそうだ。

 

だけど、少しずつだけど

気づき始めているんた

 

「このままじゃいけない」ってことに。

 

だからこそ

 

マイノリティで在ることに恐れないで

本質の自身の姿で生きていたい。

 

ともすれば、それはとてもワガママで

時には反社会的に他人の目には写るのかも

しれないけど。

 

自分を殺して他に合わせて我慢して生きることより

自分の心が本質が喜ぶ生き方を選択して生きたい。

 

そして、それが自分だけじゃなく

自分の大切に思う周囲の人をも幸せにできる

生き方なら最高だ。

 

そんな風に思うのです。

 

ワガママでもいい

時には道を踏み外し

失敗を繰り返してもいい

 

最後には自分自身が心から喜び

幸せを感じながら

周囲の人をも幸せにできる

 

そんな自分になりたいのです。